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ヒロとやんばるの空と海

-戦後独立国だった頃の明るいOKINAWA-

【第1話】正月にトシをとる?(1)ミーニシのふく頃

ヤマトユウ(日本世・時代)からアメリカユウ(アメリカ世・時代)への移り変わりだ、と年寄りが言っていた太平洋戦争終戦の1945年から1950年代(昭和20年代)までの間、沖縄は日本国ではなく琉球とよばれるアメリカが支配する半独立国でした。

その琉球の沖縄島の北のヤンバルといわれた山がちの地方の、さらに小さな屋我地島がその舞台です。島の小学校に通うヒロたちと島人(シマンチュ)が主役で、自然に囲まれ明るく楽しい日々について、これからお話しましょう。
 今では正月と言えば、太陽暦の一月一日(新正月)に決まっていますが、太平洋戦争の後の一時期まで、ヒロたちの住む沖縄の田舎では、月の運行に合わせた太陰暦(=)旧暦)の一月一日の正月(旧正月)を意味していました。しかもその頃まで、正月を迎えて皆で一斉に1歳年(数え年)をとるという習慣があったのです。
その正月には、子供はもちろん若者から年寄りが先祖の位牌があるグァンス(ご先祖さま)に一緒に揃ってごちそうを食べて祝う、1年のうちでももっとも大事な行事でした。本島の名護や那覇に軍作業で働きに出ていたニイセー(青年)たちも帰ってきます。

第1回 ミーニシの吹くころ

  渡り鳥のサシバ(鷹の一種)が、毎日北から南へと群れをなして飛んで行きます。ミーニシとよぶ北からの冷たい風が吹く頃になると、小学校の1年生の教室から、「もう、いくつねーるとぉ オショー月」と調子外れの黄色い声も混じり、学校に一台しかないオルガンにあわせて大きな声が聞こえてきます。ヒロの胸も正月への期待でいっぱいになります。

 上の運動場には、子供4人でも抱えきれないような幹の大きな松が、3本も大きな枝を幾重にも広げて空を覆うように高くそびえて立っています。地面には大きな松の根が黒いヘビのように何本も赤土の地面を這いまわり、根から幹の上の大きな枝まで赤黒っぽい割れた肌をさらし、枝の先端のまわり一面につている松葉の緑も黒っぽく見えます。松の大木も今日は寒がっているように見えます。
また東の空を見ると、コの字のかたちで上の運動場を囲んでいる校舎の屋根瓦も、雲がいっぱいの灰色の空のように冷え冷えとした灰色ですが、みんなの顔は何故か輝いています。それには理由があるのです。

 板張りの廊下(ろうか)に立っていて、しかも半ズボンではだしのヒロ立ち小学生にとって、足の先から寒さが上ってくるような感じがします。

食用豚

 「キィー、グェー」と哀(あわ)れをさそうような、かん高い泣き声が遠く離れている村のほうぼうの家から聞こえてきます。
 これは「ソーグァチ・ウワー(正月豚)」といって、正月用のごちそうになるはずのブタの声です。おおみそかにトサツするまで、三日間くらい家の角の柱につながれたブタ君、エサや水が与えられないので「グェー、キィー」と悲鳴をあげているのです。ブタ肉をおいしくするため、ブタ君に絶食をさせていると大人はいっています。

 いよいよブタの悲鳴が聞こえてくると、ヒロたちには『正月の歌』よりもっと正月が近いことを感じて、うきうきした気分になります。豚の鳴き声が、お腹の音とつながっているようです。久しぶりにおいしい豚肉や餅などのごちそうが、腹いっぱい食べられるからなのです。

 さて、あしたは正月という大晦日には、山へ出かけて大きな松の枝を二本、腕の長さほどの小さな枝を四本切ってきます。門の両側にはヒロの高さほどの枝を立て、家の四つ角にはぜんぶで四本の松の小枝を生けます。玄関にあたる戸口には、ミカンとコンブと木炭をわらの縄でくくりつけ、正月のしたくはお終い。



住☆リフォームねっと (2011年1月16日 10:42) | コメント(0) | トラックバック(0)

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